株・金・タワー

最近友人がネット株を始めた影響で、株の入門書を買ってきた。
なるほど、景気は上昇中で、今が儲け時のようだ。

しかし、何か心に引っかかるものがあるので、ここに書いて気持ちを整理しておきたい。

まず、大前提として自分の経済活動がある。
花村萬月が言っていたように、経済とは平たく言えば「飯を食って、クソをする」ことである。
自分はサラリーを得て、経済活動を続けている。
労働の見返りとしての、お金だ。
これで、飯を食う。

さて、話を株に移す。
株で得るお金は、不労所得に近いと感じる。
不動産収入、ギャンブルなどと同じ所得だ。
労働しないで得るお金。

そこで、不労所得がサラリーよりも多くなった場合を考えてみる。
(まだ、設けてもいないけど、いざというときのためにね)
平均的なサラリーマンは結構ギリギリの経済活動をしている。
車や家を買うのもローンだ。
一歩間違えば破綻する。
そこで、多額の不労所得があるとすれば、これは願ったりの状況になる。
借金を返して、余裕を持った経済活動になる。
当然気持ちにも余裕が生まれるだろう。
旨いものを食べたり、快適な家に住んだり、リッチな旅行をしたり。
これが、不労所得のもたらすプラスの価値。

逆にマイナスの価値を考えてみよう。
もし、多額の不労所得を得たとき、経済(消費)活動のほかに劇的に変わるものがあるとすれば何だろう?
それは、気持ちだと思う。
いままで、労働の対価としてサラリーを得て生活してきた。
当然、労働は真剣に打ち込むものであり、そこにサラリー以上の意味を見出してきた。
(異論はあるかもしれないが、それはおいておく)
ところが、月収が、サラリー20万、不労所得200万になったらどうなるだろう。
現在の仕事に、相応の価値を見出している人以外は働く気力が失せてしまうだろう。
そして、それ以上に怖いのが、価値観の崩壊である。

シンプソンズでホーマーが密造酒を売りさばいて大儲けをしたエピソードがある。
それを手伝っていた小学生のバートはふと漏らす。
「汗かいて金を稼ぐのは、バカがやることだって、やっと気づいたぜ、親父!」

程度の差こそあれ、多くの人はバートに近い気持ちを感じるはずだ。
価値観の崩壊と、新たな価値観の出現。

これは、就職して急に金回りの良くなった友人とかを見てみんな知っているはずである。
昔はあいつは、今とは違ってもっと面白かった、とか。
もっといろんな話をしていたのに、今は仕事と金と女の話しかしない、とか。
小金が入っただけで、人は簡単に変わる。
そして、残念なことにその多くはつまらない方向に変わってしまうように見える

価値観の崩壊と、新たな価値観の出現。
というより、価値観の崩壊と、それに続く価値観の荒廃。
わりと寒々しい世界が広がっている気がする。
(自分がその世界を知らないだけで、本人たちは楽しいのかもしれないが)

さて、仮に自分が月収20万で、不労所得1億だとしよう。
バカな仮定をするなと、怒らないで欲しい。
例えは極端なほうが、より本質を浮かびあらせるはずだ。
自分ならどうするか?
どりあえず、仕事は辞めるかもしれない。
そして、金を膨らませる手段を考えつつ、別の仕事を探すだろう。
気持ちに余裕が出て、勉強をしなおすのもいいな。

しかし、逆のパターンもありうる。
今まで培ってきた労働観の崩壊による揺りもどしだ。
額に汗して働かなくても手に入るお金に対する、罪悪感、及びパニック。
以前、足利銀行株を底値で買って、瞬時に5000万儲けたデイトレーダーがいた。
彼は、自分と同い年だった。
彼は、その大儲けの後、何をしたのか?

名古屋タワーから、100円札をばら撒いたのだ。

これは、あきらかに揺り戻しであると思う。
ありえない儲けと、パニック。
その結果としてのばら撒き。
彼の内部で何が起きたかはわからない。
しかし、事件後のTVインタビューでの言葉が印象的だった。
デイトレーダーは今回のように儲かるかも知れないが、自宅に引きこもって一人でさぎょうしているのでキツイ。今は、会社に所属したい」
話はづれるが、要は金は手に入っても社会との繋がりがなくては、キツイということだ。
社会的な生き物だからね。



と、書いてきたが、やはりサラリーの上昇を期待できない今の職種と時代において、「飯食って、クソをする」以上のことをするために、株に手を出すのは自然の流れかもしれない。
塩野七生も「文化を生み出すには、まず大金を稼ぎなさい」と息子に教育していたし、あまり金を悪く考えるのは不公平でもある。

まとまらんが、今日はここまで。