料理づく

この3日、連続して夕食を作った。

・ヤキソバ+α
・カレー+α
・おでん+α

そして、家族に食わせ、片づけをする。
うむ。
気分はまるで主婦だ。

料理は好きなので、よい気分転換になった。
「旨い」と言って(言わせて)食べてもらえると、大変気持ちが良いものである。

ちなみに、働く母親に育てられた自分は、家事全般一通りこなせる。
そして、幼きころ母親の絶対政権下で、家事について厳しく育てられた自分と妹には、一つの暗黙のルールが出来ていた。
料理し片付けをする大変さを知っているので、母親の作った料理がどんなに気に入らなかろうとも、一切文句を言わない、というものである。
半分は思いやり、半分は恐怖政治におののいて幼き心に植えつけられた習慣は大人になっても変わることはない。
彼女が作ってくれた飯に対しては「あまり美味しいとは言えない」などと婉曲に文句をつけられるのに、おかんの料理にはいまだに一切文句を言えないという、狂った構造をもつ性格となったままである。

しかしながら、おかんはオレがつくった料理に対して「辛い」「しょっぱい」「胃がもたれてるから油物は食べたくない」などど、思い切り文句を言ってくる。
これはこれで多少むかつくのだが、まぁ料理の師匠のようなものであるので、黙って聞き入れている。
しかし、文句を言われて良かったこともある。
このおかげで、自分の性格構造に変化の兆しが現れ、おかんの飯に対しても若干は文句が言えるようになってきたのだ。
やれやれ、長い戦いだった。
つうか、この歳で毎食のように、おかんの飯を食っているのも自分でもどうかと思うが。



話が思い切り逸れた。
何が言いたかったかというと、主婦のような気分では、サッカー等に対する闘争心が沸かなくなってしまいそうだ、ということである。
気持ちよく料理を作り、家族の喜ぶ顔を見ていると、「対面のあいつはぜってぬかさねぇ。ファールしてでも止めるぞ。とりあず体をぶつけてくぜ!」なんて気持ちにならないのだ。
もちろん、社会に飛び出てビジネスマンとして激しく立身出世を目指す、って気にもならない。

ベクトルが反対を向いているのだ。

主婦っぽい動きをすると、攻撃性は消えてしまう。
どちらかというと、「明日は天気も良さそうだし、日だし紅茶をつくってみようかしら」とか「そろそろ手作りジャムにチャレンジしてみようかしら」などとホッコリした気持ちになって、平和的な感情に満たされてしまう。
それはそれで、嫌いじゃない。

ただし、これから世の中でサバイバルしていこうという人や、絶対に勝ち組になりてぇ、などと考えている人には向かないというだけです。

というわけで、攻撃的に人生を歩みたい場合は、主婦的生活を好むのは止めておいたほうがよい、というのが今日の結論。