龍飛岬〜青森

ここからの海沿いは、朝日を浴びながらすすむ。
あまりの眩しさに、サングラスをかける。
漁村と漁村のあいだをのんびり走る。
とても気持ちよい。
旅にでて4日目にして、開放感が溢れてくる。
のんびりと進みながら、道に「義経寺」と出ていたので寄って見る。
なんでも義経伝説の寺らしい。
歴史上では平泉(?)で最後を遂げたことになっている義経は、人気の高さから「実はその後も生きていた」という伝説が残っている。
有名なのは、大陸に渡りジンギス・ハーンになったというやつだ。
この寺は、別の伝説「北海道に渡った」にもとづいているようだ。
さっそく見学。
がけを登りきった義経寺にいる狛犬の顔が、なんか変だった↓

などなど寄り道しつつ、青森に到着。
「青森アスパム」という巨大な観光物産館に駐車して、チャリをレンタル(1日200円)して、市内を探索する。
そして、駅前の海鮮市場にて、この旅の大きな目標でもあった「ウニいくらホタテ丼」(2000円)を食す。
ウマ〜イ!



青森市は予想以上に、古めかしい街並みだった。
今夏行った山形市のほうが近代的である。
で、1時間ほど走り回って、チャリを返す。
ちなみに、↓こんなチャリ。かごの所に「レンタル中」のプレートが・・・



この後、棟方志功記念館に行き、お勉強。

・こんなに仏教に親しんだ作家だとは知らなかった。
・版画彫りの姿勢が強烈。
・「自分は触媒だ」という感覚で創作していたらしい。
・「わだばゴッホになる」という名言をしった。この言葉を発した時、棟方はゴッホとは油絵のことだと思っていたらしい。

そのあと、国際芸術センター青森へ。
事前に電話で確認していたところによると、現在は展覧会等はやっておらず、散歩する程度ならご自由に、とのことだった。
市内から15分ほどはしったところに安藤忠雄の設計した何とか賞を受賞した、立派な庭と建物をもつセンターはあった。
中に入るも、だれもいない。
受付すらない。

無料で散歩してよいということなのだろうか。
とりあえずプラプラ歩く。
現在、世界からアーティストを呼んで、このセンターで寝泊りしながら製作してもらっているらしく、宿泊棟、制作棟ともに人の気配がする。
覗いて見ると(ほんとは禁止)3〜4人がそれぞれ何かをつくっている。
図書館兼ラウンジでコーヒー片手に休んでいる人もいる。
自分もそこに陣取り、溜まった旅日誌をつけた。
隣にはアーティストが座っていたが、話すこともないので、お互い無言。
旅はふれあいがあるというが、自分はそういうのが未だに結構苦手だ。よっては心はひきこもりのまま、呆然と紅茶をすする。
隣では、コーヒーをすすっている。
で、飲み終わったアーティストは再び制作にもどったようで、自分はひとりでラウンジのテラスを独占して、日誌をつけ続けた。

1時間近く日誌をつけて、散歩をしてリラックスしたところで再度出発。
すぐに、「ねぶた会館」に立ち寄る。
でかいねぶたを鑑賞して、ようやく青森を離れる。
4日目にして初めて観光らしい観光をした日だった。

ここから、一気に下北半島を目指す。
すでに15時をすぎているので、移動できるのは約2時間が限界。
ぐんぐんとばすも交通量が多く、距離を稼げない。
浅虫温泉の道の駅で休憩して、地図をチェック。
本日は横浜町にテントを張ることに決めた。
それ急げと、再度移動開始。
17時下北半島の付け根にある、道の駅横浜に到着。
雲行き怪しい。
店員さんにテントを張れるような公園を聞いて、行ってみる。
確かに張れそうだ・・・しかし、異常に薄暗い公園だ。
何というか、悪い気が漂っている。(と、かってに思っている)
多分、疲れから元気がでてこなかったのだろう、そんなことをうだうだ考えているうちに雨が降り出す。
疲労と、雰囲気の悪いしょぼい公園、そして雨。
空を睨みつけながら思った。
なにもマゾ訓練に来ているわけじゃない。
今日は宿に泊まろう。
するとスッと気が晴れた。
そそくさと一番近い民宿に部屋をとり、素泊まり(4000円)した。
暖かい風呂と、布団がこんなに人間を和ませるなんて。
この町はホタテで有名らしく、夕飯はホタテおこわ、ホタテのフライ、ホタテコロッケ、ビールと、逆切れホタテ祭りとなったのでした。