返信

帰宅して日ごろよく見ているブログを巡回していたところ、友人が怒っていた。
しかも、自分宛にメッセージが書いてある。
ここは、礼儀として自分の考えを述べるのがすじであると思われる。
ということで、私信として、友人へ。

これまでの状況をざっと説明すると、自分は漫画を書いている友人に、作品を見せてもらっては、感想を述べてきた。
今回は作品では、ストーリーを聞かされて、未解決部分に対して自分の考えやちょっとしたアイデアを述べてきた。
自分的には数度は本気で考えて、真剣に面白くなるように考えを伝えていたつもりであった(毎回ではない)。
一度ストーリーが固まり、下絵まで付いた作品は、いろんな経緯をたどり、骨子を一部残し全く違う作品になる。
そこで、新しい作品の意見を聞かれた自分は、実際まえのほうが良いと思ったので、そう伝えた。
ここで、感情のもつれが始まる。

以前、映画サークルに所属していたときに何度もあったことだが、学生映画とはいえ、作品を作り上げるのには、友人たちの協力と、時には多大なる尽力が欠かせない。
しかし、忘れてはいけないのは、作品は完全に監督のものであるという点だ。
どんなに脚本に協力しようとも、撮影で何時間も振り回され、照明を当て続け、編集で効果音入れのアイデアをだし、ひらすらタイミング調節に苦心しようが、スタッフはスタッフである。

だが、ここで齟齬が生じるときもあるのだ。
なぜなら頑張ったスタッフは頑張った分だけ、作品に対して愛情を感じる。
しかし、作品は完全に監督のものであるし、その文脈で仲間内で語られる。
スタッフは釈然としないものを感じる。

逆に監督の立場からするとどうか?
たしかにスタッフの協力なくしては作品は完成しなかった。
しかし、作品のアイデア、人を揃えて撮影を行う情熱、そしてそれに伴う苦労のすべては監督に負っている。
なによりも、作品を発表する際に、果たしてそれが皆に認めてもらえるのか?
それとも、クソ味噌に罵倒されるのか?
作り上げた作品にたいする少し自信と、もの凄い不安がある。
そして、その感情はスタッフにはない。
なぜなら、彼らには「私らスタッフだから」という逃げ道があるからだ。

監督には逃げ道はない。
まさしく全身全霊をかけて作品をつくり、作品を通して自分の価値観・世界観を「どうだ!」と世間に問うわけだ。
そこにリスクされているのは、まさに自分自身である。
作品を否定されれば、自分まで否定されている気持ちにもなったりする。
だからこそ作品は監督のものなのだ。
監督の血肉を分けたものなのだ。
(逆に、逃げ道を用意しているような作品は、相当な技術がないかぎり、つまらないものになっていた)
よって、監督は作品に対する全ての賞賛をうける権利があるし、ときには非難も受けなければならない。

自分で振り返ってみて、今回の件は、このような監督とスタッフの関係に一部かぶるものがあったと思う。
つまり、自分がスタッフ気分でいたこと。
もしくは、作品にコミットしすぎたこと。
あるいは、作品は作者のものだ、という原則を忘れかけていたこと。
多分そこから、感情的な発言がでたと思う。
これは反省すべき部分だし、素直に悪かったと思う。

ただし、その内容については常々感じていた点である。
そこは分けてとらえて欲しい。
友人としてみていて、プロを目指すには勉強不足と感じる点。
その具体的な例として、セリフに鋭さと深さがない点。
時に論理的な物語構造を軽視するため、作品自体が軽く薄くなっている点。
以上三点は、第三者からの気楽な批判である。
もちろん本人とっては、描いてないやつに何がわかる!という気持ちはあると思う。
しかし、感じていることは時には伝えたほうが有用であると自分は考える。
(心にもないことをいって友人をおだててるような関係は気持ち悪いだろ)

あと、付け加えるようでなんだが、その構成力は上手いと思う。
物語を展開させる力は、かなりのレベルじゃないのかと思う。

以上、長くなったので終わりとします。
暑さに負けず頑張れ!