ZERO

昨日プールで泳いでいて、ふと思った。

オレは何かを守ろうとした生き方をしているが、
何を守ろうとしているのだろうか?

この問いに、確固とした答えが出せなかった。

その瞬間、フッと肩から力が抜けた。

オレは、ゼロだ。
ゼロからのスタートだ。
今からこの手で獲得して、積み上げていくのだ、と。

もちろん漠然とした考えである。
守るものがないように、この考えにも確固としたもはない。

大事なことは、たぶん、ゼロだと思えたこと。
そして、気持ちがすっと晴れて視界が広がったことだ。

生活は、目的のための副次的なものだと心の底では思っていた。
(現実には、生活重視だが)
しかし、それがいつからか生活が目的になっていないか?
いや、もちろんそれが悪いと言っているのではない。
今の自分にフィットしていないのではないかと疑問を持っているだけだ。



一年ほど前、大学のサークルの掲示板を見ていて先輩の発言にひどくショックを受けた。
その先輩は、過酷な就職活動を勝ち抜いて、大手CM製作会社に就職した。
職場の条件はもちろん良いが、それ以上に苛烈に働いている。
その先輩が就職4年目にして書いていたのは、
「金のために働いているわけじゃないから、そろそろ会社を移ろうかと思っている」
という一文だった。

これに二重の意味でショックを受けた。
最初は、素直に「オレは金のためだけに働いてるよ」という感情に基づいた、クリエイティブな仕事をしている先輩への嫉妬の感情から(頭ではその仕事はクリエイティブではないとと理解していても、感情が優る)。
次に、この文章を読んでひどく傷ついた自分がいることに気がついたことに。

これは効いた。
先輩の言葉がハッタリだと分かっていたとしてもだ。
(実際、まだ勤め続けているし、多分辞めない。昔からそうとう飛ばしをして、周囲に迷惑をかけてうんざりさせていた人だし)



同年代の日本人の多くは、働くことは金以上の何かを得るためだ、と心の底では信じている。
しかし、本当にそうか?
これはリクルート等の印象操作の結果ではないのか?

オレは、根本的に労働の対価は、金だと思っている。
そこが、出発点だ。
「喰って糞する」ために、労働して金を得ている。

もちろん、それ以上のものは欲しい。
充実感、技術の向上、野心の達成、自分だけしか出来ない仕事。
しかし、大抵は、そういったものはあくまで労働の付随物として、退屈な仕事に向かう気持ちの片隅に秘めているだけだ。
そういう労働観だ。

だから、オレには先輩のセリフは絶対に吐けない。
そして、吐けない自分に傷つく。



そして、冒頭に戻る。
何を守ろうとしていたのか?
何を守ろうとして吐けなかったのか?

ゼロから始めればいい。
今のお前に大事なものはそんなに無い。
ゼロからだ。