消費

最近、「消費」という言葉が気になる。
辞書を引くと「(金・物・労力などを)使うこと⇔生産」とある。
例えば、車で長野に行った場合、「ガソリンを消費して、体を長野まで移動させた」ということになる。

ただし、気になるのは「消費」を別のニュアンスで使う場合である。
もっと率直に言えば、「あ、今おれ自分を消費してるな」と感じるときの「消費」のこと。

たとえば、どうでもいい仕事をしている時。
そのとき自分は「時間を消費して、エネルギーを消費して、結果ペイを受け取っている。結局、エネルギー=ペイとなっている。あ〜自分を消費してるな」と感じている。まぁ、自分が青臭いことを言っているのは分かっているが、労働とは自分を消費することである。このときの実感は「消費」というより「消耗」というものに近い。

ただ、まれに「ガソリンを消費して長野まで体を移動させる」ような、手ごたえのある「消費」を行うときもある。ようするに、自分が成長したとか、将来につながることをしている、とか感じているいるときですね。こういうのは「消耗」というより「成長」と呼んだほうがしっくりくる感覚である。まぁ、まれだけど。

つまり、なんだな。あんまり自分を消耗させるなってことだ。「消費」という多くを包括してしまう概念をつかって「あっ、おれ自分を消費してるよな」ってうそぶく暇があったら、消耗しないためになにができるか、考えたほうがましだってことだな。
消耗の行く末は見えているぞ。靴底と同じだ。身を削って擦り減った末に、捨てられてしまうんだよ。ポイっとね。

で、おれの現状はどっちかだって?
わかってるだろ。
俺の靴底はビブラムソールだ。
擦り減ったら靴屋で付け替えられるのだよ。
タフってことじゃないぜ。
本体が使い込まれて磨きあげられる時間を、
無神経さでカバーし続けてるんだよ。
じゃあな。